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ブル中野が起こした女子プロレス革命 マツコ&有吉の怒り新党 4月29日放送

マツコ&有吉の怒り新党 4月29日放送の新・3大○○は

ブル中野が起こした女子プロレス革命でした。

ブル中野が起こした女子プロレス革命その1

 1990年11月14日VSアジャ・コング

全日本女子プロレスの名ヒールプロレスラー、ブル中野。極悪同盟の一員だったブル中野はクラッシュ・ギャルズト戦う悪役として80年代女子プロレスの人気を支えたのです。しかし1988年ダンプ松本が引退。ブル中野はヒール軍団「獄門党」を結成した。

 

 ヒールのあり方

それまでのヒールは正義を引き立てるだけの存在だった。この構図が続けばすぐに女子プロレスは飽きられると考え、ヒールVSヒールの抗争を繰り広げた。

後輩のアジャ・コングと対立し女子プロレスを活性化し盛り上げた。

 1990年11月14日に横浜文化体育館で行われたアジャとの金網デスマッチにて、金網ゲージの頂上から飛び降りて放ったギロチン・ドロップで、女子プロレスの枠を超えて一気にブレイクする。

ブル中野 - Wikipedia

 その2 1992年11月26日VSアジャ・コング

ブル中野には強い信念があった。ただ凶器を振り回すヒールではなく多彩な技で観客を魅了するヒール像を目指した。凶器頼みだった従来のヒール像を大幅に進化させた。

2年間にわたって抗争中のアジャ・コングとの試合だった。互いの技術と技を出し尽くす超ハイレベルな技の競演であった。

勝ったのはアジャ・コング。ブルの得意技のギロチンであじゃの勝利となった。

試合後のインタビューで

「アジャは一番かわいい後輩。負けたことは本当に納得している」

その31994年11月20日VSアランドラ・ブレイズ

当時の女子プロレス界には暗黙の掟があった。

チャンピオンがベルトを失うと引退しなければならなかった。しかしブルは女子プロレス界のしきたりを無視した。

ブルは誘われたアメリカの団体WWFに参戦した。アメリカで試合を重ねてアメリカのファンにも認知された94年11月凱旋帰国したブルは東京ドームでWWFのタイトルマッチに挑み日本女子初のWWFのタイトルを手に入れた。

 ブル中野は女子プロレス史に輝く革命者であった。

ヒールのメイクを落とすと美人!

ブル中野さんはメイクを落とすと実は美人。

 

青色ダイエット

昔ダイエットの番組で見たことあるけどダイエットには凄く苦労されていて

「青色ダイエット」というのを実践して痩せたとか。

食器だけでなく部屋のカーテンやインテリアも全て青色に。青は食欲を減退させる色らしい。

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